考える坂本

坂本は生命維持と認識と価値判断と行動をします

数理論理的な風景

この記事では数学(など1階論理で扱える体系)が論理でどのように捉えられるのかを整理したいと思う。

(1)世界はもので構成されている
(2)ものどうしの間にはある種の事実が成立している
(3)複数のものから別のものを作る操作が存在する

まず、世界は(一つ以上の)もので構成されている。例えば自然数論でいえば、世界は 0, 1, 2, … という数で構成されている。そしてこれらのものの間にある種の事実が成立している。例えば、14と2と7の間には、「14は2と7の積に因数分解できる」という事実が成立する。このように一般には k個のものの間で成立する事実が(多数)存在している。さらに、ものとものを組み合わせて別のものを作成するという操作が存在する。例えば、1と2という数字から3という数字を作る操作として足し算が存在する。つまり、1,2 → 3 というような操作が存在する。なお、(2)と(3)は片方が存在しない(片方を考慮しなくてもよい)場合もある。ただ、(2)と(3)の両方がないともの同士が独立になってしまうのであまり考える意味がない。

(4)事実から、可能な事態を想定できる
(5)事態の非成立を想定できる

(4)以降が、論理学の登場である。事実から事態を想定する。例えば、「14は2と7の積である」という事実から「15は2と7の積である」というような事態を想定できる。事態は成立すれば事実だが成立しないこともある。このように、事態の非成立として、論理学では否定「¬」という概念を持つ。なお、「ある事態が成立しているならば、・・・・」という仮定を持ち出すこともある。

(5)ある事態と別の事態の組み合わせから、別の事態を構成できる

事態間にもある種の関連がある。例えば、「14は2と7の積に因数分解できる」という事態と、「14は3を因子にもつ」という事態から、別の事態「14は2と7の積に因数分解でき、かつ14は3を因子に持つ」という事態を構成できる。このように、論理学では、かつ「∧」およびまたは「∨」などの概念を持つ。ちなみに先の例では、一つ目の事態は成立しており、二つ目の事態は非成立である。これらをかつで結んだ事態は非成立である。このように論理学では「∧」や「∨」という概念を持つ。

(6)ある事態から、ものを量化する事態を想定できる

事態は、「14は2と7の積に因数分解できる」などのように複数のもので構成されている。このもののうちどれかを量化(全てのxや、あるx)した事態を想定できる。例えば「全てのものは2と7の積に因数分解できる」であるとか、「あるものは2と7の積に因数分解できる」であるとか、「14はあるものと7の積に因数分解できる」とか、「14はすべてのものと7の積に因数分解できる」など。このように、論理学では、事態を量化した事態を構成する。そのため、論理学では量化「∀∃」という概念を持つ。

(7)事態の成立可能性を論じるのが思考(数学・論理学)である

(6)までを受けて、常に成立する事態(例えば、「2でわりきれるものと2でわりきれるものの和は2でわりきれる」)の存在を追及したりするのが数学である。また、あるものに関して成立する事態(たとえば、x+4=0が成立する xが存在する)を追及したりもする。

なお、本稿では微妙にウィトゲンシュタイン論理哲学論考を意識した。

数理論理対話

— 一階言語のシンタクスでは構造のドメインはあまり使わないようだ。論理記号は使うのに。

それにはワケがある。これから展開する数学では、ドメインはそれぞれ異なることが多い(N,Z,Q,R,Cなど)、その一方、論理記号は使いまわす(¬∧∀)。使いまわす理由は単純だ:これらの数学の間には言語の拡張という形で結び付けることができ、ある構造の数学と別の構造の数学では同一の定理が成り立ったりするためだ。そのため、複数の数学間で同一の論理記号を用いることでシンボルに意味のオーバーロードができる。

ドメインの要素を使うのではなく、変数を使うのは、(x+y)2=x2+2xy+y2のように一般化しておいた方が、より本質に迫れるだろうということ。実際に変数を代入するのは、意味論においてモデルを与えることに相当し、 Var→A, x→xw という代入操作を与えることで一つの世界を語る。

— 構造とモデルは同一視できないのか?

できない。一般に、ある式φの充足関係には段階がある。一番具体的なものではモデルを与えればいいのだが、もう少しきつい条件として、モデルの構造を固定して、任意の付値 wにたいして充足するような強い言明ができる。すなわちある種の論理式φに対して、 A⊨Φ ⇒ M⊨Φ は成り立つが、その逆は一般には成りたたない。

ラッセルのパラドクスは素朴集合論の矛盾ではない

ラッセルのパラドクスは素朴集合論の矛盾ではない。そうではなく、ある論理学の一つの妥当式の意味論的な読み込みにおける間違いである。

論理式の妥当式に「⊨¬∃u∀x(x∈u↔x∉x)」というものがある。この妥当式の証明は、「∈の意味」に対して開かれている(この妥当式の証明に∈の意味を使っていない)。すなわち、∈の意味として「属する」と読めばラッセルのパラドックスになるが、∈の意味として「・・・は嘘つきだという」と読めばクレタ人のパラドクス(嘘つきは、自分が嘘つきだという言明を言えない)になる。ラッセルはクレタ人のパラドックスを再発見したに過ぎない。

Wikipedia 自己言及のパラドクス では色々な議論がなされているが、上記の説明が一番ぴったりとくるはずだ。

参考文献:Rautenberg A Concise Introduction to mathematical logic

数理論理対話

—- 数学を論理学で議論できると聞いた

論理学 – とりわけ一階述語論理 – を援用して数学での思考(証明や演繹など)を言語化できる。言語化とは、紙の上に書くインクの染みを作るというような意味であり、ウィトゲンシュタイン的に言えば像を作ることができるということである。

—- 日本語ならぬ数学語を論理学が提供するするようなものか?

概ねその通り。日本語では文章を重ねて話を紡ぐが、同様に論理学の言語で数学的言明を記述できる。

—- 言語だから文法とかがある

そう。でも言語の前に、構造の話が先。言語は構造を持つから。構造は、(1)ドメイン(2)関係の集合(3)操作の集合(4)定数の集合 以上4つからなる。ドメインは必要だけど、他の全部はある必要はなく、例えば関係しかない場合もあれば、逆に操作と定数しかない場合もある。一般的にはどちらも存在する。これは、実際には、L構造という2つ組、(ドメイン, 論理記号の集合L )のようにまとめられる。論理記号には一階述語論理では「¬∧∀=」を用い、必要に応じて「+<◦∈01e」などが追加される。Lには前述の関係や操作なども含まれる。

—- そして言語を作るわけか?

ここでは一階言語を組み立てる。まずアルファベットを定義する。その後に項を定義する。そして論理式を定義する。文を定義する。というように順序だてて一階言語のシンタクスを定義する。式の中には、自由変数が含まれている場合があり、その場合式が述語になるという仕組み。

—- 統語論の後は意味論であると

そう。解釈を与える、もしくはモデルを与えるということ。これによって式の充足関係が定義でき、論理的帰結という概念に至る。

超圧縮論理学 01.命題論理

密度を極限まで高めたい。適宜更新

命題論理

統語論

要素命題(以下素数)の集合 PV={p1,p2,…}が存在する。結合子¬∧∨が存在する。括弧()が存在する。論理式を以下で定義する(1)素数は論理式(2)α,βを論理式とすると(¬α)と(α∧β)と(α∨β)は論理式。以下括弧は適宜省略する。また論理式全体の集合をFとする。さて、その他の結合子を以下で定義する α→β:=¬(α∧β)、α↔β:=(α→β)∧(β→α)。また、以下でシグニチャを定義する ⊤:=p1∧p1, ⊥:=¬⊤。

論理式αの双対な論理式DC(α)を以下で定義する(1)DC(pi)=pi(2)DC(¬α)=¬DC(α),DC(α∧β)=DC(α)∨DC(β),DC(α∨β)=DC(α)∧DC(β)。論理式αの部分論理式Sf(α)[注:Sf(α)は集合]を以下で定義する(1)Sf(pi)={pi}(2)Sf(¬α)=Sf(α)∪{¬α},Sf(α∧β)=Sf(α)∪Sf(β)∪{α∧β}。論理式αの深さdeg(α)[注:deg(α)は自然数]を以下で定義する(1)deg(pi)=0(2)deg(¬α)=deg(α)+1,deg(α∧β)=max(deg(α),deg(β))+1,deg(α∨β)=max(deg(α),deg(β))+1。代入操作とは、σ:PV→Fに対して、以下のように構成される:σ(¬α)=¬σ(α),σ(α∨β)=σ(α)∨σ(β),σ(α∧β)=σ(α)∧σ(β)。

piと¬piをliteralと呼ぶ。DNFとはliteralを∧でつなげた複数の論理式を∨でつなげたもの。CNFとはliteralを∨でつなげた複数の論理式を∧でつなげたもの。

証明論(ゲンツェン)

0個の公理と6の規則からなる。規則は(IS)/α⊢α (MR)X'⊢α/X⊢α for X'⊇X (∧1)X⊢α,β/X⊢α∧β (∧2)X⊢α∧β/X⊢α,β (¬1)X⊢α,¬α/X⊢β (¬2)X,α⊢β X,¬α⊢β / X⊢β。ここで∨に関しては以下で再定義する α∨β:=¬(¬α∧¬β)。(※これが正当化されるが意味論から確認は必要)その他の結合子は統語論で規定したものと同じである。X⊢αという二項関係をシーケントといい、(X,α)と書くこともある。シーケントの並びS=(S0;S1;…Sn)で、Sn=(X,α)の場合、SをXからのαの演繹という。

幾つかの有用な追加規則が存在し、証明できる。(¬-elimination) X,¬α⊢α / X⊢α (reductio ad absurdum) X,¬α⊢β,¬β / X⊢α (→-elimination) X⊢α X⊢α→β / X,α⊢β (cut rule)X⊢α X,α⊢β / X⊢β (→introduction) X,α⊢β / X⊢α→β (detachment rule)X⊢α,α→β / X⊢β。

上記規則は一般化して、R: (X1,α1);(X2,α2);…(Xn,αn) / (X,α) と表現できる。規則Rについて「EがRで閉じている」を以下で定義する: E(X1,α1) ,E(X2,α2),..E(Xn,αn)が E(X,α)をimplyする。特にEが上述6規則すべてに閉じているならば、X⊢αは、E(X,α)をimplyするといえる。例えとして後述の「⊨」があげられる。

意味論

証明論(ヒルベルト)

知見

∉ ⊬ ⊭ ↓ ↑

logic

⊢ ∉ ⊬ ⊭ ↓ ↑ ⊥ ⊤

哲人への共感から自身の認識と価値判断を知る

坂本は認識と価値判断をする。ただその方法は自明でない。坂本は先人に教えを乞う形で方法論を確立する。そのために先人の思考がどのように映るかを記録することは有用と判断する。

真理の存在 /「懐疑主義相対主義」への立場

  • 真理はあると考える
  • 論理におけるトートロジーなどアプリオリに真なる命題はあるはず
  • 我思う故に我有りのように疑えない何かもあるはず

真理へのアプローチ(認識論 その1)

  • 合理主義も経験主義も一分ある
  • カントは統一したらしいが詳細を知らないので態度を保留
  • 直感主義は言っていることがわかりにくい

思考の限界 (認識論 その2)

真理論 (認識論 その3)

よくわからない

現代の認識論 (認識論 その4)

昔の存在論 (存在論 その1)

現在の存在論 (存在論 その2)

倫理への態度 (倫理学 その1)

  • 義務論は理解ができるが実践は難しい
  • 功利主義はモデル足りうる。質か量かは判断を保留
  • 利己主義が一番共感

メタ倫理 (倫理学 その2)

  • 詳しくは知らないが大いに興味

応用倫理(倫理学 その3)

  • 興味なし

量子の不思議を平凡に語る

20世紀に発見された量子論はその革新さ故に既存の自然観を覆したといわれる。 多くの言説は「シュレディンガーの猫」や「神はサイコロを振らない」という 魅惑に満ちたキーワードとともに語られることが多い。

本稿では、10の不思議を提示し、あらためて不思議さを共有したい。

目次
1. 「神はサイコロを振る」
2. 「同一種類の粒子は区別がつかない」
3. 「複素数が自然界に存在した」
4. 「生きながら死ぬ猫」
5.「スピノルの発見」
6. 「分裂する粒子」
7. 「光速を超えて働く秩序」 (未、EPRペア・量子エンタングルメント)
8. 「系の状態と観測量の分離」(未)
9. 「超伝導・超流動」(未、ボーズアインシュタイン凝縮)
10.「真空ってなんだっけ?」(未、場の理論)

「神はサイコロを振る」

最も偉大な物理学者の一人であるアインシュタイン量子論を批判して「神はサイコロを振らない」という言葉を残したといわれる。しかし多くの実験では「神はサイコロを振る」ことが確かめられている。

もし、同一の物理的状況を設置できるのであれば、何回か(粒子の位置などの)観測量を測定すれば、毎回同じ値が得られると期待するのは理性にかなうだろう。しかし量子論ではこの期待は裏切られる。同一の物理的状況で同一の実験を行っても得られる値はバラバラであたかも「神がサイコロをふるって」値をランダムに選んでいるように見える。

もちろん完全にランダムというわけではない。平均値や分散値などの統計的値であれば量子論は正確にそれを予測することができる。

「同一種類の粒子は区別がつかない」

我々は素粒子の一つに電子があることを知っている。二つの電子が近くにある場合、この二つは区別することができるだろうか?古典論では確実に肯定的にこたえられる。すなわち片方に A、もう片方に Bという名前を付けて、二体問題として運動方程式を書き下しそのダイナミクスを記述できる。Aの物理量とBの物理量は明確に区別される。

しかし量子論ではこの描像は当てはまらない。同種粒子が存在する場合は、系の波動関数に対して制約がかかる。すなわち粒子の交換という操作に対して系の波動関数が対称もしくは反対称であるという制約がかかる。どちらの制約を受けるのかは粒子の種類に依存する。反対称の制約がかかる場合フェルミ粒子と呼ばれ、対称の制約がかかる場合ボーズ粒子と呼ばれる。ちなみに電子はフェルミ粒子である。光子はボーズ粒子である。

非常に多くの実験がこの制約が存在することを支持する。すなわち「自然は同一粒子を区別できない」ように振舞うことが知られている。なお、この世界は5種類のボーズ粒子と12種類のフェルミ粒子でできているといわれている(素粒子論の標準模型による)

複素数が自然界に存在した」

我々は数学の世界において虚数があることを知っている。しかし自然界に虚数複素数があることを知っているだろうか?たしかに、現存する多くの物理理論は複素数を用いて理論を構成する。しかし、複素数の導入は計算上便宜的に導入されただけであり、実数のみを用いて理論を構成できるはずだ(不勉強もあるので断言はできない)。

実際、自然界にあふれる物理量、それは全て実数である。温度、位置座標、速度、電圧、風速、エネルギー、熱量、振動数、群速度、エントロピー、等々。

しかし、量子論は違う。量子論の基礎づけにはいくつかのバリエーションがあるがどれも必ず虚数を要請する。それに応じて、波動関数などの物理的実体にも複素数が本質的に表れる。すなわち自然界で虚数が本質的に要請されるのは量子論によってなのである。いまや虚数は想像上の存在ではない。自然界にあまねく存在する。

「生きながら死ぬ猫」

古典論では互いに排他的な状況において排中律が成立する。すなわち、「生きている」という状態と、「死んでいる」という状態は互いに排他で、「生きている」かつ「死んでいる」という状態は存在しない。生きているか死んでいるかのどちらかである。これを排中律という。

量子論では、系の状態に排中律が成立しない。すなわち「生きている」状態と「死んでいる」状態が共存しうるのである。もちろん観測によって「どちらですか?」という観測をすればどちらかに確定する(収束するという表現をとる)。

シュレディンガーはこれを箱の中に入った猫になぞらえてその奇妙さを指摘した。しかし自然界はこのようにできているのである。

「スピノルの発見」

スカラー・ベクトル・テンソル、これらは数学であるが、物理学でも当然使う。このようなベクトル演算の論理ははるか昔から発達してきていたが、20世紀にぽっとでた量子論において、スカラーでもベクトルでもテンソルでもない量を発見してしまったのである。これはスピノルと呼ばれる。スピノルは半ベクトルとも呼ばれ、スピノルを組み合わせるとベクトルのように振舞う。

長年研究された数学のテンソル演算において、スピノルのような新たな種類の数が発見されなかったのは非常に珍しいといえよう。物理学者が自然界にスピノルがあると発見したのである。

「分裂する粒子」

粒子の前に紙を置くと、粒子は紙に遮られ紙の裏側に突き抜けることができない。ここで紙に二つの穴をあける。すると粒子はこの穴を通って裏側に突き抜けることができる。当然粒子は、どちらかの穴を通ったと推定されるわけであるが、量子論によると、一つの粒子が「両方の」穴を通ってきたとしか考えられない挙動(干渉縞)を示す。これは 100個の粒子のうち 50個が片方の穴に、50個がもう一方の穴を通ったということではない。100個の粒子のうち 100個の粒子が両方の穴を通ったと解釈する以外説明ができないのである。これは粒子の波動性を示す顕著な例で二重スリット実験と呼ばれる。